2010.10.04 Monday
映画[ 東京島 ]何がハッピーエンドかは、自分で決めるわ
映画[ 東京島 ]を吉祥寺バウスシアターで鑑賞。
船が難破し、無人島へ漂着した男性23人と、たったひとりの女性(主婦)が繰り広げるサバイバル生活を描いた、桐島夏生の同名小説の映画化である。ゴールディングの『蠅の王』のような、凄惨なものを想像していたらまったく違ったものだった。底意地の悪い視点で、女性をこれでもこれでもかと描写する桐島夏生らしい作品だが、迫力にかける男性陣には少々物足りなさを感じてしまう。そんな中でも、謎の男、ワタナベを演じた窪塚洋介は異彩を放っており、気がつけば亀の甲羅を平然として背負っている姿が、気持ち悪いほどよく似合っていた。
この映画を手がけたのは[ 0093女王陛下の草刈正雄 ][ 忘れられぬ人々 ]の篠崎誠監督。商業デビュー作が、ベルリン映画祭で最優秀新人賞を受賞した作家性の強い作品をつくる監督さんだが、コメディーからヒューマンドラマまで扱うジャンルは幅広く、さらにホラーにも造詣が深い。
にほんブログ村 日本映画(邦画)
船が難破し、無人島へ漂着した男性23人と、たったひとりの女性(主婦)が繰り広げるサバイバル生活を描いた、桐島夏生の同名小説の映画化である。ゴールディングの『蠅の王』のような、凄惨なものを想像していたらまったく違ったものだった。底意地の悪い視点で、女性をこれでもこれでもかと描写する桐島夏生らしい作品だが、迫力にかける男性陣には少々物足りなさを感じてしまう。そんな中でも、謎の男、ワタナベを演じた窪塚洋介は異彩を放っており、気がつけば亀の甲羅を平然として背負っている姿が、気持ち悪いほどよく似合っていた。
この映画を手がけたのは[ 0093女王陛下の草刈正雄 ][ 忘れられぬ人々 ]の篠崎誠監督。商業デビュー作が、ベルリン映画祭で最優秀新人賞を受賞した作家性の強い作品をつくる監督さんだが、コメディーからヒューマンドラマまで扱うジャンルは幅広く、さらにホラーにも造詣が深い。
にほんブログ村 日本映画(邦画)
これはコメディなのか。食欲と性欲に飢えた男たちの壮絶なサバイバル合戦が、凄惨をきわめた映像で描かれているかと思ったら、なんてなまぬるい。原作は未見だが、たぶん原作に沿ったストーリーと世界観で作られているのだろうと推測。
主人公の清子の夫をめぐる覇権争いや、それに伴うせこい殺人事件は起きるが・・・島を「トウキョウジマ」と呼び、「シブヤ」と名付けた場所では若者たちがビーズを作ったり、野生の花を使ったレイをつくったりと、ノー天気な活動に明け暮れて、時を過ごす。あとから漂着してきた中国人たちは、動物を狩ったり、魚をつったり、調味料を自作して料理をつくったり、さらには島から脱出するための船を作ったりと実用的の生活に腐心しているというのに。中国人と比べるまでもなく、日本人たちのその日暮らしのような非生産的な活動は、現代の若者像を投影しており、情けなくもあるが妙におかしい。
島でたった一人の女性という逆ハーレム状態は清子にとっては、これ以上ない好待遇の環境であったはず。にもかかわらず、彼女は草食ニホン男子のヤワな愛情を棒に振り、堅実で逞しいチャイニーズの骨太な愛をえらぶ。状況が二転三転していくものの、この映画は清子の容赦のないサバイバル術が描かれている。韓流ドラマなら、ちょっとタカビーな美人女優が配役されそうな役柄なのだが、日本では木村多江のような庶民派美人になってしまう。まあ順当な配役だとは思うが、妊娠してからの、清子の生への渇望は、それまでのひとりの女性としてのたんなる欲望ではなく、母のたくましさとして観客には映ったにちがいない。そう考えれば、前半ではもっと醜悪な清子が観たかったと思うのはぜいたくなことだろうか。
食料を包んだり、普段着としてタンクトップとして使ったりと、あれだけ過酷なサバイバル生活をしてもエルメスのスカーフはシミひとつない。ファンタジーだから当然なのだが、この映画では彼女のキャラクターを決定づける重要なアイテムになっているのも見逃してはならない。エンディングで東京に戻った清子は、果たしてエルメスを身につけていただろうか―――。エルメスの有無を通して、清子の変容を想像してみる。(こちらもエンディングで登場したが)どこで暮らそうとも、肌身離さず身につけている(ワタナベの)亀の甲羅と比べても、面白いかも。後味は悪くない。
主人公の清子の夫をめぐる覇権争いや、それに伴うせこい殺人事件は起きるが・・・島を「トウキョウジマ」と呼び、「シブヤ」と名付けた場所では若者たちがビーズを作ったり、野生の花を使ったレイをつくったりと、ノー天気な活動に明け暮れて、時を過ごす。あとから漂着してきた中国人たちは、動物を狩ったり、魚をつったり、調味料を自作して料理をつくったり、さらには島から脱出するための船を作ったりと実用的の生活に腐心しているというのに。中国人と比べるまでもなく、日本人たちのその日暮らしのような非生産的な活動は、現代の若者像を投影しており、情けなくもあるが妙におかしい。
島でたった一人の女性という逆ハーレム状態は清子にとっては、これ以上ない好待遇の環境であったはず。にもかかわらず、彼女は草食ニホン男子のヤワな愛情を棒に振り、堅実で逞しいチャイニーズの骨太な愛をえらぶ。状況が二転三転していくものの、この映画は清子の容赦のないサバイバル術が描かれている。韓流ドラマなら、ちょっとタカビーな美人女優が配役されそうな役柄なのだが、日本では木村多江のような庶民派美人になってしまう。まあ順当な配役だとは思うが、妊娠してからの、清子の生への渇望は、それまでのひとりの女性としてのたんなる欲望ではなく、母のたくましさとして観客には映ったにちがいない。そう考えれば、前半ではもっと醜悪な清子が観たかったと思うのはぜいたくなことだろうか。
食料を包んだり、普段着としてタンクトップとして使ったりと、あれだけ過酷なサバイバル生活をしてもエルメスのスカーフはシミひとつない。ファンタジーだから当然なのだが、この映画では彼女のキャラクターを決定づける重要なアイテムになっているのも見逃してはならない。エンディングで東京に戻った清子は、果たしてエルメスを身につけていただろうか―――。エルメスの有無を通して、清子の変容を想像してみる。(こちらもエンディングで登場したが)どこで暮らそうとも、肌身離さず身につけている(ワタナベの)亀の甲羅と比べても、面白いかも。後味は悪くない。