2010.01.27 Wednesday 23:45
映画[ 母なる証明 ]踊る母、たたずむ息子
映画[ 母なる証明 ]を吉祥寺バウスシアターで鑑賞。
昨年は韓国映画を2本観た。どちらも洋画というジャンルの中でも、群を抜いた良質な作品で、韓国映画のクオリティの高さに驚きです。
ひとつは[ チェイサー ]。新人監督が作ったとは思えぬほどのスリルと狂気に満ちた作品である。もう一作がポンジュノ監督が3年ぶりに手がけた長編映画の、この[ 母なる証明 ]。冒頭からラストまで、目を瞠るほどのショットの数々。そして、これまで他の作品で描かれてきた母性への、アンチテーゼとも読み取れる、新たな母性映画の誕生でもある。

昨年は韓国映画を2本観た。どちらも洋画というジャンルの中でも、群を抜いた良質な作品で、韓国映画のクオリティの高さに驚きです。
ひとつは[ チェイサー ]。新人監督が作ったとは思えぬほどのスリルと狂気に満ちた作品である。もう一作がポンジュノ監督が3年ぶりに手がけた長編映画の、この[ 母なる証明 ]。冒頭からラストまで、目を瞠るほどのショットの数々。そして、これまで他の作品で描かれてきた母性への、アンチテーゼとも読み取れる、新たな母性映画の誕生でもある。

ポンジュノ監督の作品であれば、時代背景や社会風刺的な側面が反映されていたが、今回は純粋に「母性」というものに迫った異色作である。
息子を溺愛する母。殺人の罪を着せられた息子を救おうと、自らの手で真犯人を探し出そうと試みる。一方的な息子への愛情。息子のためならとなんでも受け入れてしまう無尽蔵の愛。
それが、この映画で特徴的に表れているのが「息子へのオカンの視線(まなざし)」である。冒頭にある、通りの向こう側にいる息子を見ながら薬草を切る母の視線。猛スピードで走ってきた車が息子のトジュンを吹き飛ばした光景をみた彼女は、店内にいっぱいに積まれた薬草を押しのけて、すごい剣幕で息子に駆け寄っていく。刑事に連行される際にも同じ光景が反復される。
異なる場面では、家の近くで立ち小便をするトジュンを、その行為とともに、息子の流れていく尿をみつめるという母の視線が描かれている。
彼女のまなざし――正気と狂気の間をさまよいつづける母の息子への愛情は、はたして息子へ伝わるのか?この応えが見所のひとつで、驚愕の真実
としてクライマックスで明らかに。
何があっても子どもを守り抜く母を演じたキム・ヘジャは一途な“母”として、彼女の他には考えられないほどサイコーな役どころ。一人息子への盲目な愛がにじみ出ている表情が、何とも言えない。でも、この映画では息子のウオンビンがキム・ヘジャ以上のはまり役に見えた。子鹿のようなうるんだ瞳に、透明感あふれるたたずまいがファンでなくても釘づけです。昔は木村一八かなと思っていたが、最近はキムタクを彷彿とさせる。
ポンジュノ監督は、[ グエムル 漢江(ハンガン)の怪物 ]を観たときも感じたが映像が秀逸なのだ。凡庸さが微塵もなく、脳裏にしっかりと刻まれるようなシークエンスで、次第に興奮と緊張が高まってくる。一見意味のないようなゴルフ場のシーンも、前シーンの母の職場での閉塞感から一変。広大なゴルフ場をカメラが自由自在に動き回ることで、開放感を演出して、印象的な映像をうみだしている。
先に触れたがこの映画は母性が、包容力や生命力に満ちたものではあるが、必ずしも正しき道を見出すものとしては描かれていない。これまでの母性を描いた作品には、善も悪もすべてを包むような慈愛に満ちたものとして描かれたことが多かったが、少し偏った考えだったかもと、これを観て改めて考えさせられる。
さらにこの映画には、行き過ぎた母性を抑制する働きでもあるルールと言う秩序をもって事にあたろうとする父性という存在が見当たらない。登場するのは名誉や金しか興味にない弁護士、ちゃらんぽらんな刑事など、母親とはまったく違う世界に暮らしているさもしい男たちばかりだ。唯一“父性”的な一面をみせたのが廃品回収のおじさんだ。(まあ、彼も売春という犯罪に手を染めていたのだが・・・。しかし母性に立ち向かったすえに、彼は命を落としてしまうというのが、なかなか興味深い。
たぶんこの映画は、好きか嫌いかが二分する作品だろう。特にエンディングが受け入れられるかどうかが、決め手になると思う。でも一般的に言われているような社会通念では理解しがたい所があるからこそ人間は面白いわけで、それを描いてこそが映画の魅力だと思うオデにとっては、イチオシの作品なんである。
最後に母は、夕日を背に受けて、バスの中で他のおばさんたちとともに踊り出す。躍動感のあるそのシーンこそ、彼女が息子のためにこれからも“生きていこう”と決めた意思表示なのだ。やはり母はたくましい!
息子を溺愛する母。殺人の罪を着せられた息子を救おうと、自らの手で真犯人を探し出そうと試みる。一方的な息子への愛情。息子のためならとなんでも受け入れてしまう無尽蔵の愛。
それが、この映画で特徴的に表れているのが「息子へのオカンの視線(まなざし)」である。冒頭にある、通りの向こう側にいる息子を見ながら薬草を切る母の視線。猛スピードで走ってきた車が息子のトジュンを吹き飛ばした光景をみた彼女は、店内にいっぱいに積まれた薬草を押しのけて、すごい剣幕で息子に駆け寄っていく。刑事に連行される際にも同じ光景が反復される。
異なる場面では、家の近くで立ち小便をするトジュンを、その行為とともに、息子の流れていく尿をみつめるという母の視線が描かれている。
彼女のまなざし――正気と狂気の間をさまよいつづける母の息子への愛情は、はたして息子へ伝わるのか?この応えが見所のひとつで、驚愕の真実
としてクライマックスで明らかに。
何があっても子どもを守り抜く母を演じたキム・ヘジャは一途な“母”として、彼女の他には考えられないほどサイコーな役どころ。一人息子への盲目な愛がにじみ出ている表情が、何とも言えない。でも、この映画では息子のウオンビンがキム・ヘジャ以上のはまり役に見えた。子鹿のようなうるんだ瞳に、透明感あふれるたたずまいがファンでなくても釘づけです。昔は木村一八かなと思っていたが、最近はキムタクを彷彿とさせる。
ポンジュノ監督は、[ グエムル 漢江(ハンガン)の怪物 ]を観たときも感じたが映像が秀逸なのだ。凡庸さが微塵もなく、脳裏にしっかりと刻まれるようなシークエンスで、次第に興奮と緊張が高まってくる。一見意味のないようなゴルフ場のシーンも、前シーンの母の職場での閉塞感から一変。広大なゴルフ場をカメラが自由自在に動き回ることで、開放感を演出して、印象的な映像をうみだしている。
先に触れたがこの映画は母性が、包容力や生命力に満ちたものではあるが、必ずしも正しき道を見出すものとしては描かれていない。これまでの母性を描いた作品には、善も悪もすべてを包むような慈愛に満ちたものとして描かれたことが多かったが、少し偏った考えだったかもと、これを観て改めて考えさせられる。
さらにこの映画には、行き過ぎた母性を抑制する働きでもあるルールと言う秩序をもって事にあたろうとする父性という存在が見当たらない。登場するのは名誉や金しか興味にない弁護士、ちゃらんぽらんな刑事など、母親とはまったく違う世界に暮らしているさもしい男たちばかりだ。唯一“父性”的な一面をみせたのが廃品回収のおじさんだ。(まあ、彼も売春という犯罪に手を染めていたのだが・・・。しかし母性に立ち向かったすえに、彼は命を落としてしまうというのが、なかなか興味深い。
たぶんこの映画は、好きか嫌いかが二分する作品だろう。特にエンディングが受け入れられるかどうかが、決め手になると思う。でも一般的に言われているような社会通念では理解しがたい所があるからこそ人間は面白いわけで、それを描いてこそが映画の魅力だと思うオデにとっては、イチオシの作品なんである。
最後に母は、夕日を背に受けて、バスの中で他のおばさんたちとともに踊り出す。躍動感のあるそのシーンこそ、彼女が息子のためにこれからも“生きていこう”と決めた意思表示なのだ。やはり母はたくましい!
