2009.06.15 Monday
映画[ おっぱいバレー ]おっぱいにふれて、教育についてちょっこっとだけ真面目に考えてみる
改造自転車をつかって、坂道を駆け下りる。危険を承知の決死のダイビング。おいおい、おっぱいの感触を味わうために、そこまでやるか。女性の裸ではなく、おっぱい一筋。ここまであからさまに描かれると、いやらしくは感じないし、少年たちの明るさとオープンな感じがかえって清々しく見えてくる。
先生のビンタなんて、日常茶飯事だったこの時代なら、寺嶋美香子先生(綾瀬はるか)と生徒たちの約束「試合に勝ったら、先生のおっぱい見せてください!」というのも、ありえない話ではない。
そういえば、この約束、先生と男子バレー部の生徒たちとの、強く結ばれた友情にも似た信頼関係が印象づけられるシークエンスがある。女子バレー部のひとりが寺嶋先生と男子バレー部との「おっぱい」の約束を友人に話し、全校中に広まってしまう。そして、その子は広めてしまったことを先生に謝罪するものの、「私は、先生のやったことは間違っていると思います」と自分の意見を先生にぶつける場面だ。先生と男子バレー部と、彼女を含め部外者の間には、かなりの温度差があるようだ。誤解を恐れずにいえば、教育現場には、この「おっぱい」話のような、端からではわからない絆こそが必要なのだと思う。先生が生徒をビンタする。というのも部外者から見れば体罰に見えるかもしれないが、そこに信頼関係があれば、違った意味が生まれるのだから。一見すると、微笑ましくて、軽い映画のようではあるが、実は教育の本質があるように思えてならない。
でも、そんな難しく考えなくても・・・・、いつも虫けら同然のように先輩(石田卓也)からこきつかわれていたバレー部の5人が、殴られても蹴られても向かっていったあのスピリットを含め、一勝もできなかった弱小だったチームが、強豪チームと決勝で戦うまでに強くなる。へたれバレー部の子供たちと、不器用だけど人一倍生徒の事を考えている寺嶋先生の成長譚として見れば、楽しめるはず。ある意味で、繰り返し映し出される坂からみえるコンビナート群とそこから上がるけむりというのも70年代という、時代の(高度経済)成長のも描いていたりするのだろうね。
70年代の街並みを、CGをほとんど使わず、セットだけで
再現させたのは見事です。これはすごい。
ちなみに青木崇高は、寺嶋先生に恋する教師役だった。
先生のビンタなんて、日常茶飯事だったこの時代なら、寺嶋美香子先生(綾瀬はるか)と生徒たちの約束「試合に勝ったら、先生のおっぱい見せてください!」というのも、ありえない話ではない。
そういえば、この約束、先生と男子バレー部の生徒たちとの、強く結ばれた友情にも似た信頼関係が印象づけられるシークエンスがある。女子バレー部のひとりが寺嶋先生と男子バレー部との「おっぱい」の約束を友人に話し、全校中に広まってしまう。そして、その子は広めてしまったことを先生に謝罪するものの、「私は、先生のやったことは間違っていると思います」と自分の意見を先生にぶつける場面だ。先生と男子バレー部と、彼女を含め部外者の間には、かなりの温度差があるようだ。誤解を恐れずにいえば、教育現場には、この「おっぱい」話のような、端からではわからない絆こそが必要なのだと思う。先生が生徒をビンタする。というのも部外者から見れば体罰に見えるかもしれないが、そこに信頼関係があれば、違った意味が生まれるのだから。一見すると、微笑ましくて、軽い映画のようではあるが、実は教育の本質があるように思えてならない。
でも、そんな難しく考えなくても・・・・、いつも虫けら同然のように先輩(石田卓也)からこきつかわれていたバレー部の5人が、殴られても蹴られても向かっていったあのスピリットを含め、一勝もできなかった弱小だったチームが、強豪チームと決勝で戦うまでに強くなる。へたれバレー部の子供たちと、不器用だけど人一倍生徒の事を考えている寺嶋先生の成長譚として見れば、楽しめるはず。ある意味で、繰り返し映し出される坂からみえるコンビナート群とそこから上がるけむりというのも70年代という、時代の(高度経済)成長のも描いていたりするのだろうね。
70年代の街並みを、CGをほとんど使わず、セットだけで
再現させたのは見事です。これはすごい。
ちなみに青木崇高は、寺嶋先生に恋する教師役だった。