齢五十にして、チチになる | アロハ坊主の日がな一日

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齢五十にして、チチになる
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    気がつけば2018年ももう半年を過ぎた。
    時間が過ぎゆくのは、おっそろしくはやい。

    そして、気がつけばフリーランスになって12年目に突入し、
    齢50も過ぎ、不惑どころか、まだまだ自身の天命さえわからない状態である。

    というのも、この年にして、初めて子を授かり、
    やれオムツ交換だ、やれミルク飲ましだ、やれ抱っこだと・・・慣れない育児を覚える毎日だからだ。

    今でこそ、4,5ヶ月経って、育児もなんとかできることが増えてきたが、生まれて間もない頃は、僕が抱っこすると泣き止まず仕事以上のストレスに襲われる時期もあった。

    悩みながらも、嫁に励まされ、なんとか乗り越えようと、このとき自分なりに考えて取り組んだのが、赤ちゃんが喜ぶことをしてあげることだった。

    例えば、オシッコをしたらすぐにオムツを交換する。これを徹底してやり続けた。すると1週間ぐらい経つと、「このオッサン、なかなかいいヤツじゃん!」と思ったのか、朝僕の顔を見ると、笑うようになってきたのだ。それからは抱っこしても泣かないようになり、今では外出時のだっこひも担当は僕がやるようになってしまったのだ。

    この経験をしてから、この人は頼れる人かどうかの認識は、たとえ生まれて間もない子でもできるというのが僕の考えである。

    また、まだ言葉がしゃべれないので、まだまだ何を考えているか分からないところも多いが、一緒にいる時間が増えてくると、なぜ泣いているのか(眠いからとか、寂しいからとか)は少し分かるようになってきた。

    赤ちゃんは本能で生きているので、言葉が話せなくも、これだなと見分けがつくのだろうと思う。
    これが言葉を話し、建前や本音の使い分けができるようになってくると、いくら同じ血をつながりがある子どもでも分からなくなってくるんだろうな。いつから、そうなってしまうのか。まだまだ先だろうけど、最近そんなことが気になっている。

    そして、知らぬ間に僕の嫌なクセもうつってしまうのだろう。
    そのとき、僕はどんな気持ちになるのだろう。まだまだ半人前だが、こうして僕はチチになる。
    | 日常 | 22:35 | comments(0) | trackbacks(0) |
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