2017.11.05 Sunday
映画【 そして父になる 】目線(視線)が語る、それぞれの想い
いけ好かない父親を演じた福山雅治だが、カメラや音楽(ギターやピアノ)など福山の好きなものが散りばめられており、時折みせる子どもへのスマイルも含め、ファンには垂涎もの作品なのだろう。
本作は、子どもの取り違え事件を通じて、主人公が「血とは何か?」を考え、本当の父親へと目覚めていく物語である。監督は是枝裕和。第66回カンヌ国際映画祭で審査員賞も受賞している。
本作は、子どもの取り違え事件を通じて、主人公が「血とは何か?」を考え、本当の父親へと目覚めていく物語である。監督は是枝裕和。第66回カンヌ国際映画祭で審査員賞も受賞している。
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福山雅治が演じた主人公の野々村良多はとにかく嫌なやつで、友だちなら絶対に好きになれない。エリート意識が強くて、権威主義丸出しの人物なのだ。上司(國村準)の「ふたりとも引き取ってしまえよ」、父親(夏八木勲)の「血(のつながり)が大事。早く子どもを交換して、むこうの家族とは二度と会わないことだ」という入れ知恵を、さも自分のアイデアかのように提案し、親権問題などを無理に推し進めようとする行動にも、主人公の性格がよく表れている。
そんな主人公の硬直化した考えが氷解していくプロセスが本作の見所である。そこでキービジュアルとして描かれているのは、「人の視線(目線)」である。福山雅治と尾野真千子が演じた野々村家と、リリー・フランキーと真木よう子が演じた斎木家。この2つの家族が一緒に記念写真を撮ったシーンでは、斎木家の父・雄大(リリー・フランキー)が子どもの高さまでおりた目線(視線)に対して、良多は上から目線と、それぞれの子どもに対する想いが、対照的な目線として表現されている。
また、良多の見下ろすような目線(視線)は他にも登場する。たとえば、冒頭コンペの準備で部下と打合せで、完成途中の建物のジオラマに「こっちが南で、こっちが北ね。もっとこのあたりに家族連れを増やしておいて」と注文をつけているシーンだ。彼の他者への支配的な想いを想起させる。
その彼が次第に子どもの心(気持ち)に気づき始めるのも、子どもをわざと取り違えた看護師の(血はつながらない)子どもの強い眼差し(視線)であったり、息子の慶多(二宮慶多)が撮っていた父の写真(視線)であったりするのだ。
最後に、(これまで育ててきた)息子の、自分(父)への純粋な想いに気づく主人公・良多。まさに真の父親になれた彼の目線(視線)は、どのようなものだったのだろうか?主人公や子どもの目線(視線)に気をつけて観ると、一度観た人もこれまでとは違った楽しみ方が得られるかもしれません。そんな作品です。
そんな主人公の硬直化した考えが氷解していくプロセスが本作の見所である。そこでキービジュアルとして描かれているのは、「人の視線(目線)」である。福山雅治と尾野真千子が演じた野々村家と、リリー・フランキーと真木よう子が演じた斎木家。この2つの家族が一緒に記念写真を撮ったシーンでは、斎木家の父・雄大(リリー・フランキー)が子どもの高さまでおりた目線(視線)に対して、良多は上から目線と、それぞれの子どもに対する想いが、対照的な目線として表現されている。
また、良多の見下ろすような目線(視線)は他にも登場する。たとえば、冒頭コンペの準備で部下と打合せで、完成途中の建物のジオラマに「こっちが南で、こっちが北ね。もっとこのあたりに家族連れを増やしておいて」と注文をつけているシーンだ。彼の他者への支配的な想いを想起させる。
その彼が次第に子どもの心(気持ち)に気づき始めるのも、子どもをわざと取り違えた看護師の(血はつながらない)子どもの強い眼差し(視線)であったり、息子の慶多(二宮慶多)が撮っていた父の写真(視線)であったりするのだ。
最後に、(これまで育ててきた)息子の、自分(父)への純粋な想いに気づく主人公・良多。まさに真の父親になれた彼の目線(視線)は、どのようなものだったのだろうか?主人公や子どもの目線(視線)に気をつけて観ると、一度観た人もこれまでとは違った楽しみ方が得られるかもしれません。そんな作品です。